|
IVANITOのProfile ↑IVANITOを知りたい人はクリック↑ LINK ◆Zazpiak Bat・・・4+3=1? 同じゼミのremonaが運営するBLOG。スペインはバスク自治州のETAについて。ホリ○モン逮捕によりLivedoorからexciteに移籍。 ◆La fuerza de La lengua 「コトバのチカラ」同じゼミのJohnだかmanjiroだかが書いているBLOG。何故この題名か、何故敬語を勉強するのかは、ココを見てやってくれ。ホリ○モン逮捕後にLivedoorにBLOGを設立したホリ○モン信者のノビタ。 ◆Bygones 同じ大学のMihoが運営するちょっとセンチメンタルなBLOG。 ◆象と蝶 同じ大学のとってもプリチーなkikuyonのBLOG。可愛さとjazzっ気満載ナリ。 ◆サッカー選手(パナマ)小曽戸允哉 地元からプロ・サッカー選手が誕生。「パナマの怪人」ことnobuyaのパナマ・サッカー選手日記。 ◆夢を追いかけて~スペインサッカー留学 en GRANADA~ 地元からスペインはアンダルシアのグラナダへ。プロサッカー選手を目指したsatitoの挑戦記。 カテゴリ
以前の記事
2006年 07月
2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 最新のコメント
最新のトラックバック
検索
おすすめキーワード(PR)
ファン
|
自らのキャリアデザインを考える機会の多い今日この頃。「自分の一番やりたい事」を考えるとき、自分の過去を振り返るよね。高校の同級生anuと大学の同級生きこちゃんに17歳にもどれと言われたので、思い返してみます。長くなるけど、今後も僕と付き合ってくれる人は読んでください。知っていて欲しいから。今の僕を構築している事実だから、今まであまり触れてこなかった。
まだまとまってないけどとりあえず掲載。書き直したらまた読んで欲しい。 1. 17歳の時、何をしていた? 2. 17歳の時、何を考えていた? 3. 17歳の時、一番のイベントは? 4. 17歳の時、やり残したことは? 5. 17歳の時、戻れたら? 6. 17歳の時、失敗したことは? 僕は小学5年生の頃からサッカーをしていた。中学のサッカー部ではチームとして数々の栄誉を獲得。トップチームの試合にはほとんど出れなかったけど、毎日サッカーしてた。サッカーしに学校に行っていた。そして何の疑いもなく、高校に入ってサッカー部に入ったんだ。けど入学同時に抱いていた不安が現実になった。 高校サッカーに体力的についていけなかったんだ。正直、最初のうちは技術的にはやっていけるなっていう手応えはあったんだ。けど、身体と心はついていかなかった。体が小さい人はいくらでもいるから言い訳なんだけど、僕の成長期って18~21歳くらいだった。高校入学当時152cm・40kgだった僕は走りでも体でも勝てなかったんだよね。一番弱かったのは心だったんだけどさ。 ・・・辞めてしまった。サッカー部をいとも簡単に辞めてしまったんだ。大好きなサッカーなのに。本当に悔しいよ。人生で一番「戻りたい時」。 小学生の頃から審判だったりサッカーの歴史だったり、プレー以外の面でもサッカーを学んでたんだけど、これを機に審判を真面目にやってみようと思ったんだ。「審判が好きならやってみたらどうだ」っていうI先生(高校の先生)の提案もあってね。色々な面からサッカーを捉えるきっかけを作ってくれた。I先生は全然サッカーを教えてくれなかったけど、僕の中では大切な先生。 練習には週の半分くらい参加して、試合では笛を吹かせてもらってた。練習は途中まではみんなとやって実戦的な部分は参加せず自主トレに充てた。自主トレってみんなに見えないじゃない?いくらでもサボれてしまうんだ。けど僕は走った。もうこの時にすでに後ろめたい気持ちがあったんだよね。みんなと正面を向き合えない自分がいたし。その後ろめたい気持ちを走ることで「自分も頑張ってる」的な感覚にさせてた。これ以上逃げたくないと思ってやってたこの自主トレも、後ろめたさを自己満に変えるある意味「逃げ」だったのかな・・・。 けど見ててくれた人もいた。キャプテンだったTさん。2年の合宿のときに5kmだったか10km走らされた時、普段走りこんでいた僕もみんなに負けじと走った。あれだけ体力がなかった僕も時間内に走った。Tさんが後日ひとりひとりに宛てた手紙にそのことが書いてあった。ちょっぴり救われた。 4級だけど資格も取った。講習を受ければ誰でも取れる資格だけどね。けど実力はかなりあったと思うよ。日本の審判制度は未発達で、浦和市内で3級昇級試験を受ける権利を得れるのは一年でたった3人。審判界にちょっと失望してた。審判でワールドカップに出るのもいいなと思い始めたのはこの頃。けど今は目指してない。18歳の頃、ワールドカップのボランティアを経験して、審判ではなく運営としてサッカーに携わりたいと強く思うようになったから。(けど審判はこれからも更新していくよ) 僕が勝利に餓えてサッカーをしてたのは16歳まで。17歳。あの頃に戻れるならサッカーで勝負したい。けど今の僕を支えているのも間違いなくこの時代の経験なんだ。ニ度と同じような後悔はしたくないと思って今は頑張れるし、一生サッカーに携わりたいと思うようになったのは、この頃にプレー以外の面でもサッカーを見れるようになったからなんだ。 僕に失望したのは僕だけじゃなく、他の部員や中学の時のチームメイトにもいた。今は審判のプロは目指していないけれど、僕がもし今後サッカー界で働くことになったら、その中の何人かはきっと喜んでくれるんじゃないかなと思う。その時には正面から当時の自分やみんなと向き合えるかな。 人生で、後悔しないなんて絶対に無理。特に今の僕は常に何かに挑戦したいと思っているから、常にステップアップしたいと思っているから、後悔と反省は付き物。17歳の頃、一番大きな後悔をしたから、何にも打ち込めずにダラダラしている自分がいるから、あの時に戻ってやり直したいって思ってるから、だから今僕は大学生活で出来るだけ後悔しないように生きている。だから僕は学生スタッフでもボロボロになりながら踏ん張れたんだと思う。 17歳。僕の人生の支え。 IVANITO P.S. もっと色々書こうと思ったんだけど、まとまらないのでまた書き直します。書き直したらまた是非読んで欲しい。全て事実を書くから。僕はもう逃げないから。(2006/1/23 01:42)
明けましておめでとうございます。
年が明けたね。年々、X'masや年明けという行事の重みが薄れてきているように感じるのは僕だけかな。幼少の頃は楽しみに待ったその夜。しかし今は365日のうちの一夜にすぎないといった感覚。まぁX'masに関しちゃ今冬はまぁまぁ有意義に過ごせたけどね。第9も楽しかったしね。 僕は正月が好きではない。お年玉以外に楽しみが無いのだ。おせちもお雑煮もあまり好きではないしね。正月って3日間おせちや餅を食べなければならないでしょう?他のものを食べたくても家には何も無い。そんな「特別な食卓」が好きではないのだ。しかもお年玉を貰えなくなった今日、楽しみは何も無い。 そしてもっと嫌いなのが、人々がここぞとばかりに「今年はこういう年にしよう」とか言うこと。年末に1年の反省をして、年明けに1年の抱負を語り合う。そんな光景が好きではない。僕の周りの大人の一部の人が、無責任に目標を言い放ッたにもかかわらず、1年通して目標達成に向けて努力していないのを見ているせいかもしれないが。 僕は常に反省と新たな目標を探してそれを目指したい。だから1年の節目に云々ではなく、常にそれを考えていたいのだ。しかし、ここでは世間の正月ムードに便乗して1年の目標を書きたいと思う。僕はその目標を1年通して達成に向けて頑張るからそれを語ってもOKなのだ。としておく。矛盾しているのは承知の上。だから題名に書いたでしょ。 2004年の目標はRevolution。新たな刺激を求めようとした。まだ見ぬ世界を見たい。多くの人に出会いたい。まずは出来ることから。バイトを変えようと試みたが、辞めたのは結局12月。不完全燃焼。 2005年の目標は続・Revolution。2004年に達成できなかったことをしよう。スペインに行った。上手く書き表せないけど、ちょっと変わったかな自分、って今は思える。 レッズランドに入った。本来はサッカー以外の職も経験したかったが、就職活動のことも考えると、内定が出るまでバイトを変えることは出来ないと思い、自分が一番好きなサッカーに関係したバイトに決めた。 学科のスタッフの仕事もほぼ全うしたと言えるかな。(「ほぼ」って付けないと、次の目標が立てられないからね)今考えると、よく踏ん張ってたなって思う。強くなったと思う。僕は頑張っているところを見せたくないタイプ。同時に、みんなに認められたいとも思う。このBLOGにその話を書いているように。矛盾してるけどね。普段は頑張るところを見せないから、スタッフやっていてもそのツラさは分からない人が多かったんじゃないかな。仕事はこなせても精神的にギリギリのところだったりね。仕事は分担できても、責任とプレッシャーは僕しか背負えなかったから。まぁそれを見ていてくれた友人や先生が1人でも2人でもいてくれたから出来たんだけどね。今でもその人たちには感謝してる。そして今は、当時僕が背負っていたものを引き継いだ後輩の面倒をみることと、うちの学科のその先を考えてる。 だいぶ話が逸れたね。さて2006年。今年は・・・Evolution!!そして「人として」。昨年成し遂げた「変化」を今年はさらに充実したものに発展させる。起こった変化を育てるというのが目標。後者は今年というより、僕の人生のテーマかな。何があっても「人として」生きることを忘れたくない。人を大切にして、人として感じることを大切にする。 よし、そんな感じだ。今年もよろしくって言葉はありふれているから使わないで・・・今後もIVANITOから目が離せないゼ。 IVANITO P.S. 今年はひとりの女性を心から愛せたらいいな。そろそろそんな年にしたいとこだ。歳も歳だし(笑) P.P.S. 元日から国立競技場。REDSと共に生きてから初の元日国立だ。シーズンの最終戦。同時に2006年の幕開けでもある。カップを浦和に持ち帰って、オフに入りたいものだ。今年も浦和レッズをよろしく。
この世の中、何が本当で何が間違いなのか分からなくなってきた。
今まで生きてきた人生とは、僕が信じてきた世の中とは何だったのだろう。 22年間を否定された気分だ。信ずるべきものが何なのか分からない。 こんなに泣きたい夜は初めてだ。 IVANITO P.S. 書き込んでいるだけまだ余裕があるのかな。RAUL、話を聞いてくれてありがとう。
まずはMihoから貰ったバトン。友達のワッ!なるバトンらしく、Mihoが質問を用意してくれました。自己紹介がてら答えたいと思います。
<Pregunta N°1> IVANITOとサッカーの出会いはいつ? Respuesta: 覚えているのは1992年、小学校3年生のときかな。兄貴が部屋で友達とサッカー雑誌を見てた。カズっていう選手の名前をそこで覚えたんだ。それまでは学校の休み時間に友達とボールを蹴ることはあっても、サッカーというスポーツを強く意識したことはなかった。 翌年にJリーグ開幕ということもあって、三菱重工サッカー部を母体とした㈱三菱自動車自動車フットボールクラブ、通称、浦和レッズが本拠地を求めて地元・浦和にやってきたんだ。その事実は開幕当年の1993年に知るんだ。1993年4月1日、兄貴がレッズの練習を見に行こう言って、荒川総合運動公園に行った。僕はアイドルにサインを貰いに行く感覚だったね。ミーハーだったから(笑。初めてサインを貰ったのは望月聡という選手。 その時は全く知らない選手だったけど、サインを貰えた事が嬉しくて、翌2日も行ったんだ。東京農業大学グラウンド。現レッズランド。まさかそこで働くなんて思わなかったけどね。そこで後に重要な人物となる土田尚史選手(つっちー)に初めて会ったんだ。 翌3日は駒場競技場に行った。前日までの2日間で、有名らしい福田っていう選手にサインを貰えなかったから。3日目でやっと貰えたのをよく覚えてるよ。4月6日にも東農大Gに行って、つっちーにまた会った。ここからつっちーとの付き合いが始まったかな。 選手が下宿しているホテルが家から50mということもあって、よく選手の帰りを待ってたりしたし、そこでつっちーともだいぶ仲良くなった。彼がいなかったら今の僕はないんじゃないかな。今彼はレッズのGKコーチなんだけど、たまに話はするよ。 初めて試合を見たのは、開幕前の改修を済ませた駒場競技場の柿落とし、浦和レッズvsマンチェスター・シティ。もちろんホーム開幕戦の5月19日vs名古屋グランパスエイトも行きました。当時はチケット取るのが大変だったけど何とか入手。 そして94年の2月に少年団に入って、プレーヤーとしての活動を開始。初めて出た試合で2点決めたのは今でもよく覚えてる。 <Pregunta N°2> スペイン語を勉強し始めたきっかけは? Respuesta: 小さい頃から外国語を話すってカッコイイって思ってた。小学校6年生から英語の塾に通い始めたんだ。その甲斐あってか、中学では英語の成績は一番良かったと思う。学校代表でスピーチコンテストとかも出たし。高校に入ってからは伸び悩んだんだけど、それでも英語が好きだった。大学進学を考えた時に、「英語が好き」という気持ちはもちろんあったけど、それ以上に「何か他の言語もやってみたい」と思った。 やるならヨーロッパで使われている言語って決めていた。憧れがあったから。ほら、服装とか見ても僕ってアジアとかよりヨーロッパ志向でしょ?なんか向こうの雰囲気とかに憧れがあるのかな。 マイナーな言葉をやるのも良いけれど、僕は出来るだけメジャーな言葉がやりたかった。話せる相手が多いということはそれだけ自分の見識も広がるしね。ヨーロッパのメジャーな言語。フランス語とスペイン語。フランス語は国連第2公用語に指定されてる。けど僕は考えた。「フランス語しか話せない人」と「スペイン語しか話せない人」どちらが多いのだろう。僕が選択したのは後者。フランス語圏で英語を話せる人ってスペイン語圏のそれよりも多いんじゃないかなと思ったんだ。だったらスペイン語を勉強したほうがより多くの人と話せるんじゃないかって。だからスペイン語を選んだ。スペイン語をやるためにD大外国語学部G・B学科に入ったんだよ。 その選択は間違ってなかったね。実際、この春にスペインとフランスに行って、フランスは英語で何とかやり過ごせたもん。スペインはスペイン語じゃないとほとんど通じないね。それに今の大学生活に喜びを感じてる。良い選択だったね。僕が英語・スペイン語・日本語をマスターしているかは別としてね(笑。 <Pregunta N°3> ずばり、サッカー&スペインの魅力語ってください! Respuesta: サッカーの魅力。難しいね。ゼミの研究課題みたいだ(笑。これは詳しくは僕の卒論で答えることにするよ。今言える事は、サッカーが誰にでも分かるシンプルなスポーツであること。ゆえに同じ場面を見たときに多くの人と感情や意見を共有できること。だから人はサッカーをやって・観て、熱くなるんだろうね。これを僕は「サッカーのコミュニケーション性」と呼んでいる。それから蹴るという動作が人の生活に浸透しているのも大切な要因。地元にクラブがある場合は、IDENTITYの保持としてのサッカーってのも今後焦点をあてたい部分だよね。 スペインの魅力・・・。1ヶ月しか行ってないから表面的にしか感じられなかったけど、「人が人らしく生きている」ってのはあると思う。東京の人々が忘れているような、生きることの幸せが人との付き合いの中で垣間見れたかな。先生が言うには「暗さ」もあるようだけど・・・。滞在期間が短い僕にはそれは分からなかった。歴史的にも興味深い国だし、街の雰囲気はサイコーだね。物価が安いのも僕には嬉しいかな。もっと長いあいだ行ってみたいよ。来年の夏から秋にかけて行くつもり。 <Pregunta N°4> 今後どんな風にサッカーに関わっていきたいと思ってる? Respuesta: プレーヤーとしては、おじいちゃんになってもボールを蹴りたいと思うよ。サッカーを仕事にするのも悪くないと思う。趣味=仕事って辛いこともあるけどね。今改めて実感してるよ(笑。サッカーの仕事ってたくさんあると思うんだ。クラブの運営や海外クラブと日本の会社のエージェント。具体的にはマッチメイクや日本での商品ライセンスの取得。日本での代理店。そしてレッズランドのような総合スポーツ施設。 僕は今、レッズランドで働いていることもあって、総合スポーツクラブのあり方を考えている。日本ではどのように運営すれば良いのか。ひとつのクラブで色々な競技のチームを持って、幼稚園生からおじいちゃんまで芝生の上でスポーツをする休日。終わったらクラブハウスでみんなで談話。休日じゃなくたって近所の人たちがそこに集まって「何十回もしているいつもの話」を繰り広げる。素敵じゃないかい?そんな浦和の夢を叶えたいと思ってるよ。 以上、Mihoからのバトンによる自己紹介でした。引き続きanuからのバトンをお楽しみください。 <Pregunta N°5> Jリーグのどこのクラブのサポーターですか? Respuesta: 浦和レッズ。試合観戦は数え切れない。アウェイも行きます。けど最近はサポーターという視点と同時に違う視点からクラブを見つめる機会が多いため、今までのような熱い応援はしてません。 <Pregunta N°6> ライバルだと思っているJリーグのクラブはどこですか? Respuesta: 特にないかな。ライバルを意識するより、REDSとしてのIDENTITYを維持することのほうが重要。けど、FC東京や鹿島を相手にする時は普段より気合が入るかな。今後は同じさいたま市を本拠地とする大宮アルディージャとそういうライバル関係になったら日本のサッカーはより面白くなると思う。 <Pregunta N°7> 自分がサポートしているクラブ以外で、好きなJリーグのクラブはどこですか? Respuesta: あるわけないじゃん。この質問マジ終わってんな。日本とヨーロッパのサッカー観の違いを感じる。(追記:ヨーロッパだけでなく中南米もね?!) <Pregunta N°8> このクラブのサポーターの応援は凄いと思うクラブは? Respuesta: 特にないかな。レッズは応援でも有名だけど、最近はちょっとヌルイかな。埼スタでの試合はそれが顕著にあらわれているよね。応援する楽しさを感じなくなった人も増えたんじゃない? 他チームに関して言えば、FC東京の応援はオリジナリティがあっていいと思うよ。海外の真似をしているレッズを含めた他チームと比べて、日本の曲を多数利用したFCの応援はなかなか面白いと思う。 <Pregunta N°9> 1番好きなJリーガーは? Respuesta: 特にいないなぁ。レッズで言えば坪井、アレックス、田中、鈴木、長谷部、内舘らへんが好き。けど選手によって贔屓することはない。レッズに忠誠を誓って戦う者ならば、僕は応援する。 海外の選手で好きなのは、R.バッジョ、ジダン、シャビが特に好き。 <Pregunta N°10> 一番思い出深い試合は? Respuesta: よく覚えているのは、昔の試合だと1993年12月の鹿島戦とガンバ戦。勝てない年だったけどこの試合は勝った。翌年の雨の日の広島戦も。雨で寒いことしか覚えてないけど(笑 長くなるのであいだを省いて最近のを言うと、去年の鹿島戦。アウェイのヤツ。それからチャンピオンシップ第2戦。あのときのWe Are REDS!!コールは後にも先にも上回るものはないかもしれない。 <Pregunta N°11> Jリーグの良いところは? Respuesta: 老若男女、安全なスタジアムに足を運んで、楽しめることかな。もっと多くの人に観て貰いたい。 <Pregunta N°12> Jリーグの悪い所は? Respuesta: 組織の質が低いかな。審判・クラブ・協会も含めてね。話すと長くなるのでここまで。年を重ねるごとに歴史と教訓を得ていくんじゃないかな。 <Pregunta N°13> 自分が応援しているJリーグのクラブに熱い一言を!! Respuesta: んぁ?言葉なんていらねぇよ。 以上、anuさんからのバトンでした。 少しは僕のこと分かったかな? IVANITO
最近mixiやらBLOGやらでバトンなるリレー形式の質問が流行ってますよね。バトンをやりだすとキリがないので、基本は自分のBLOGでバトンを書かないのですが、以前、友人のMihoとanuから貰ったバトンを使って改めて自己紹介したいと思います。
僕の名前はIVANITO。IDはsy-footballとなってますが、登録時のミスですので気にしないでください(笑。呼び名はIVANITOで!! 1983年に現在の自宅から約200mの埼玉県社会保険病院に生まれる。この時の自宅は南浦和でした。生まれも育ちも浦和なんです。ちなみに父方・母方両家共に旧浦和市内にあります。母方の祖父に至っては生まれも育ちも浦和の87歳か88歳。僕の小学校の大先輩です。僕には浦和人の血が流れているのです。 小学校時代はどちらかと言うとインドア派。学校に行かない日々もありました。なぜか?なんでだろう。苛められていたわけでもないし・・・。単に面倒だったのかな。そのことで親にはだいぶ迷惑かけた。その生活をサッカーが変えてくれたわけだけど、それについてはMihoから貰ったバトンで答えます。成績は結構良いほうでした。でしゃばり屋な性格は今も昔も変わりません。仕切り屋です。特に5.6年のとき。 中学時代は専らサッカー。けど高校3年くらいまでは体が小さかった。中学入学時137cm。公式戦には一回も出れんかった・・・。けどずっとボール蹴ってたし、技術的には劣っていたわけではないし、むしろ試合に出てるやつより・・・(略)と自負。高校受験の時期になり、両親の出身校ということもあって昔から話を聞かされていたUN高校を志望。試験当日インフルエンザが治らず、高熱での受験も無事合格。 高校に入ってからはフワフワしてた。身長152cm。サッカー部に入るもついて体力的にきつかった。けどこの時に昔から取りたかった審判資格取らせてもらったり、サッカーを今までとは違う角度から見れるようになった。今の自分の出発点かな。うちの学校はよく言われるのが「自由」。西高生は分かると思うけど、自由と一言で現せるもんじゃないよね。2・3年生時は自分の責任を果たせずに流されていった。けど今の自分があるのはここで過ごしたおかげ。 一年のブランクを経てD大外国語学部に入学。スペイン語をやるために。167cm。みんなより1歳年上ということもあり、自分が引っ張ってかなきゃという気持ちもあったし、80%以上が女なので、最初に男の存在をアピらなければ肩身が狭くなる!!という思いもあり、クラス委員に立候補。中学時代や高校時代にも務めたが、ここでは今までの比にならないくらい頑張る。G・B学科にIVANITOあり!みたいなイメージをみんなに持ってもらいたい!と思ったのでした。大学に入って感じたのは、西高・浪人生活が無駄ではないということ。僕が何年も前に経験したことや悩みを、他の人は大学に入ってから経験しているというケースが多くあるように感じられた。西高・浪人生活で自分のスタイルを身に付けられたのかな。 だいぶ割愛したし、抽象表現が多いね。またいつか詳しく書くかもしれません。改めて自分を見つめてみようかと。次はいよいよMihoとanuからもらったバトンです。
更新滞ってしまってスミマセン。夏風邪5日目のIVANITOです。医者には「5日間は熱が出るよ」と言われたものの、昨日今日とバイトしてました。
そのバイトのことでみなさんに報告があります。この報告が出来る日を待っていたため、更新が遅れました。心して聞いてください。 IVANITOは2005年9月より浦和レッズの下でアルバイトをすることになりました。 驚いたかな?正確に言うとレッズが新事業として展開している、総合型スポーツ施設のレッズランドのスタッフとして働くことになりました。浦和レッズの本来の事業とはちょっと独立した感じなので、レッズランドに雇われているというカンジかな。レッズランドの説明や存在意義などは話すと長くなるので、オフィシャルHPをご覧ください。 志望動機はやはり僕がクラブ経営に興味があり、特に総合型スポーツクラブの重要性を見出しているので、その存在意義を現場で働くことで実感したかったことと、レッズランドのコンセプトにも共感したから。またそういった自分の勉強のためだけでなく、自分を成長させた大きな要因であるサッカーで自分が生まれ育った町に還元したいという想いも理由の一つ。 気になる業務だけど、基本はフィールドワークの雑用だね。オフィスにいることもあるんだけど、それよりも外のコートをより使いやすく・・・というような作業が中心。それでも僕は浦和レッズに関われていることに喜びを感じています。レッズから少し独立した感があるとはいえ、やはりオフィスで出るレッズ関係の話題は、クラブとしての立場から見たレッズ。今までも「オレのクラブ」的な感覚だったけれども、「クラブの一員」というモチベーションは今までよりも家族感が増した感じ。まだ7/17に仮オープンしたばかりで設備や準備も整っていないのが現状だけれども、今できることをひとつひとつこなして、必要とされる人間になりたいと思う。 そしてこのレッズランドには僕のモチベーションを高く維持させる大きな要素がある。それはミスター(福田正博さんではありません)の存在。ミスターはレッズ創設時から営業やら運営やら地道にコツコツとやってきた人で、クラブのフロント陣営の中でもKINGカズ的存在(違うか??、まぁいいや)。まぁ僕にとってはそれくらいの存在ということ。そんなミスターと同じ屋根の下(フィールド中心だっちゅうの!)働けるのはよ・ろ・こ・びー!!(ゴリエ風;ちょっと古い)。まぁみんなの信頼を得られるように少しずつ頑張っていきますよ。 実はこの話は8/12に僕がレッズランドに電話したことから始まったんだけど、書類選考やら面接やらで結局採用が決まったのが9/1。だからこの8月は他の短期バイトを探すことも出来ず、結構ヒマ人してた。9月は忙しいんでヨロシク(誰に?)!!学校が始まったら土日中心の勤務になります。これからは「レッズランド通信」的なバイト日記も書いてみます。書ける範囲でね。そしてこれを機に4年半続けてきたスタジアムでのビールの売り子を引退することになります。多くの仲間と会えなくなるのは寂しいけど、これがお別れではないので前を向いていこうと思います。近々、仲の良いサポーターにも報告をする予定。そして9/24の横浜F・マリノス戦を最後に僕は引退します。このバイトについても今度書くね。 更新といえば、思い出し日記、審判ネタ、その他サッカーネタなど更新したいことが溜まってます。休みの日にでも更新するのでお楽しみに!それからもうひとつお知らせ。今度、北浦和e街づくりという地元のご当地サイトからリンクされることになるかもしれません。その経緯なども後々紹介します。ではまたっ! IVANITO P.S. そのミスターが、去年、うちの大学の「スポーツと健康の世界」という一般教養の授業に講演に来たんだけど、そのときに僕は履修していなかったけど聴講しに行ったのね。で、最後に個人的に質問をしたの。そんな一コマが去年の秋にあったんだけど、バイトでミスターと再会したらさ、「IVANITO君・・・、去年僕の授業受けた??」って言われたの!覚えていてくれたんだーーーーー!!なんかどこかで見たことあるなって思ったらしい!超嬉しかった!!残暑が厳しくも爽やかな一日でした。 P.P.S 北浦和のHPについてはリンクされたらまたお知らせします。
一つ前でエンターテイメントとしてのスポーツという記事を書いたが、トラックバックで「スポーツの定義」を載せていただいた。
確かに「スポーツとは何か」、または、「…とは何か」などというその存在を確認する際、定義が真っ先に提示されるべきなのは当然である。しかし、その定義を超えた事象・感覚があるのもまた事実だ。 例えば、我々がスポーツ観戦を楽しんでいる時、誰が「いやぁ、この競争と肉体のぶつかり合いは面白い」と言うだろうか。確かにそう感じる場面はあるかもしれない。しかし、僕を含めて多くの観戦者がそのスポーツにストーリー性を見出し、ドラマとも言えるようなスポーツを楽しんでいるように思う。 2002年のFIFA World Cup、何故あんなに盛り上がったのか。そこにはドーハの悲劇があり、1998年にグループリーグ全敗で敗退し、そして2002年は開催国として参加している。その過程にも監督と選手の確執や中村俊輔の落選など、プレーの裏側に込められたストーリーがあるから余計に熱くなれるのだ。 僕が何故ここまでに浦和レッズを愛するのか。それは僕が浦和に生まれ、浦和で育ち、浦和でサッカーを通じて成長してきた、付け加えれば祖父の時代から浦和生まれの浦和育ち(笑)、という背景があるからだ。 物事を言及することきには、定義付けがないと話が展開されない。しかし、定義だけ列挙しても発展はない。定義を踏まえた上で、それを更に超えた目に見えないものを分析し考察していくのが僕の研究の今後の課題だと改めて感じた。
こんにちは。埼玉は浦和出身のivanito、大学3年生です。
J.Leagueが開幕して早や13年目。サッカーとともに人生の半分を歩んできました。 1993年以来、浦和レッズの浮き沈みを見守り、一緒に戦い、WC2002の感動に触れたことで、サッカーが僕の人生の大きな部分を占めていることに気づきました。 そしてここ数年、メディアでReal Madrid C.F.など海外クラブが取り上げられ、また、僕の身近にある浦和レッズの犬飼社長が経営改革を行う中で、「プロサッカークラブの経営」に興味を持ち始めました。 大学ではスペイン語と英語の両方を第一外国語として勉強する傍ら、「スペイン文化」ということで、ゼミで「スペインのプロサッカークラブの経営」を研究しようと決心しました。 といっても、まだ資料を集めたり、サッカー界にかかわっている方の講演を拝聴したりと、研究と呼べるほどのことはまだしてません・・・ですので、最初のうちはただのサッカー日記になってしまうかもしれません。 しかし、「今」持ち合わせている知識の中で、「今」僕が考えたことを書き綴り、サッカー界の動きへの反応を形に残すことは、僕が進むべきみちへの道標となると考えています。また、自分の成長記録にもなるとも思います。そういった経緯でBlog設立を決断しました。 同じ興味をもった方たちとも意見交換をし、議論を深め、情報交換などもしたいと思っていますので、僕の記事を読んで思ったことやみなさんの意見など、是非コメントやトラックバックに書き込んでください。 それでは、世界のサッカーファンと僕の友達のみなさん。今後ともよろしくお願いします。 < 前のページ次のページ >
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||